代表者 略歴

1981年、新潟県上越市に生まれる。
高田というかつての豪雪地帯で19歳まで過ごす。
雁木という雪よけの構造をもつ家が連なる地域であったがあまり雪が積もらない年も多かった。

小学生時代
ファミコン、スーパーファミコンが周りで流行っていたが教育上の方針で買い与えられず。
友人宅でのゲームが楽しく、将来はゲームを作る人になりたいとぼんやり思うようになる。
高学年頃になると良い大学に行っておくと選択肢が増えそうということで
地元の進学校に進むことを意識しはじめる。
運動はバスケットボールとサッカーが好きだった。
工作をしたり、遊びのルールを考えたり、自転車で遠出をするのが好きだった。
インターネットもなく、田舎でのんびり過ごしていたと思う。

中学生時代
身長がまったく伸びなかった。
7クラスのうち女子も含めて一番の低身長に。
部活は柔道にて。全く勝てなかったが柔道自体はとても好きだった。
RPGツクールという簡易なゲーム制作が行えるツールにはまる。
パソコンを購入した。
中学生でアルバイトができなかったのでいろいろ金策をして
自分で通信販売で電話注文した。
型番はPC9821 V13 S5R で、確か158,000円だったと思う。
N88 Basicで遊んだり、デルファイの関数がわからず挫折したりした。
ログインソフコンという自作ゲームやコンテンツの投稿雑誌が好きだった。

高校時代
理数科に進学したが数学が苦手だった。
部活は柔道部を続ける。
高校で少し身長が伸びて握力がアップし、少しだけ試合でも勝てるように。
新聞に受賞の結果が小さく載ったのを先輩が見つけて喜んでくれたと
聞いてうれしかった。
カードゲーム(MTG)にはまる。
アルバイトができるようになり、遠出ができるようになる。
音楽ツクールかなで~るという音楽を作れるツールで細々と音楽を作ったり
していたが本格的なDTMは始めていなかった。
大学受験に失敗する。

専門学校時代
スーパーの青果売り場でアルバイトをした後
お金がたまったので大阪に引っ越して一人暮らしを始める。
(大阪である理由は特に無く、父親の仕事の手伝いで大阪に行った時に
 関西弁があたたかい感じがしてなんとなく決めた。)
その後フリーターをしていたらお金がたまったので専門学校に行くことにした。
しかし、学費が高額だったのと生活費と機材費にお金がかかった。
4年間で1400万円程度かかり、アルバイトと奨学金で工面した。
学生の2年次からサウンドの受注制作を始める。
卒業後はゲーム会社でコンポーザーとして働きたかったが
専門学校の制度で校費留学させてもらえることになったので
準備が整うまで有線放送で働き始める。

その後
留学の期限が3年だったが、十分な資金が貯まらず辞退する。
当時奨学金の返済が月に6万円弱あり、さらに借金を重ねるリスクはとれなかった。
なのだが、今思えば覚悟が無かったのだと思う。
たまった資金で事業を法人化する。(2010年)

気が向いたら追記してゆきます。
読んでいただきましてありがとうございます^^